ニンギョウトニンギョ 第零話 



「玉露院桃源」という名前を知らなくても、「歌ウ魚」を知らない者はいない。

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第零話「歌ウ魚」
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 澄み渡った青空が広がっていた。
「あの島よ……」
 美しい海に浮かんだ島を目指して進む連絡船の甲板に立っていた曾根崎幸恵(そねざきさちえ)は、隣に並んでいる車椅子の男性に向かって話し始めた。「あの島が私の実家のある天魚島(てんぎょじま)よ」
 幸恵の言葉に何も答えず男性は遠くを見ていた。その横顔を見ながら幸恵は続けた。「龍雄(たつお)、あの島に帰るのは6年振りね……」
 甲板には数人の旅行者らしき人がいた。その中の一人の男性が二人に近付いて来た。
「観光ですか?」
「え?」
 幸恵が振り返ると、30代の背の高い男が立っていた。
「失礼。私は魚ノ目観光の添乗員をやっている、魚ノ目鼓太郎(うおのめこたろう)という者です」
 魚ノ目はそう言いながら胸ポケットから名刺を出して来た。
「いえ、観光というか、」
 幸恵は慌てながら、名刺を受け取った。
「もしご予定がないようでしたら、私がお勧めの宿がありますよ」
 魚ノ目は幸恵の言葉を遮り話し続けた。
「これから向かうあの天魚島には2つの伝説があります。まず、その1つ」と言って、人さし指を立てた。「『玉露院桃源(ぎょくろいんとうげん)』という名前を知らなくても、『歌ウ魚(うたうさかな)』を知らない者はいない、と言う名言がありますように、天魚島は我が日本国最高の芸術と名高い名魚『歌ウ魚』を生んだ場所です」
「あ、あの…」
 幸恵が何か言おうとするが、魚ノ目は止まらずに話し続けた。
「古くは、隋の国から献上された聖徳太子が愛でたと伝えられたり、清少納言や紫式部の作品のモチーフに唄われた等と諸説ある伝説の魚。その名の通り歌う魚であります。そもそも魚が鳴くと言う事自体ありえない筈ですが、この魚はえら呼吸をする際に微妙な振動を発します。水面から響いてくるその音は、鳴いていると言うよりも歌っている女性の声にも近いのでして、例えるならば母の子守唄のような音程である事から、いつしか『歌ウ魚』と呼ばれたのです……」
 そして魚ノ目はショルダーバッグから水筒を出し、注ぐと一気に飲み干した。
「いやー、すいません。ちょっと焦って一度に話したら、喉が乾いてしまいました」
 魚ノ目は頭を掻きながらそう言った。
 幸恵は苦笑しながら「私、あの島の出身なんですよ」と言い、近くにいた老人に目で合図を送った。老人は頷くと歩み寄って来た。
「え? そうだったんですか? それは馬鹿な事をしてしまいました。恥ずかしい恥ずかしい」
 魚ノ目は顔を真っ赤にした。「地元の方に熱く語ってしまうなんて」
「いやいや。それだけお前さんが仕事に真剣だという事じゃな」
 近付いて来た猫背の老人が魚ノ目に向かって話した。「わしは幸恵さまをお迎えに来た島の者じゃ。その玉露院家に仕えてもう半世紀になるかのぅ」
「ええ!? では、貴方は玉露院家のお嬢様なんですか?」
「私は現代の玉露院桃源の姪です。曾根崎幸恵と言います。宜しくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ今後とも宜しくお願い致します!」
 魚ノ目は幸恵達に深々とお辞儀をした。
「爺や、龍雄さんを中へお連れしてちょうだい。私はもう少し風に当たっています」
「判りました。お気を付けなさって」
 老人は車椅子の男性を連れて客室へと消えた。
「失礼ですが、あの方はご病気か何かですか?」
「龍雄さんですか? ええ。ちょっと体調を崩してしまって……。それより、もう1つの伝説というの教えて下さらない?」
「ええ? だってあの島の人じゃ」
「地元の人間はそんな話を聞いた事ないんですもの」
「そうなんですか? そ、それじゃあお話しさせて頂きますです」
「なんだか変な話し方ですよ。普通に接して下さい」
「いやぁー、お嬢様とあっちゃー」
「お嬢様なんて柄じゃないですから。幸恵と呼んで下さい」
「で、では…。幸恵さん」
 緊張している姿の魚ノ目を見て、幸恵は吹き出した。
 それを受けて、魚ノ目も照れ笑いをした。

(つづく)
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