SACHiEl (13/13) 最終回
2006,07,01, Saturday
「どうしたの? 先生…」
「あ。いや。なんでもない…」
俺は教え子の幸恵と一緒に歩き始めた。「ところで、話ってなんだ?」
「ホントはそんな深刻な話も無いんです。ただこうして先生と一緒に帰りたかったんです」
「なーんだ。そうなんだ。いつでも一緒に帰るよ、先生は」
「本当ですか?」
「ああ」
幸恵は楽しそうな顔を見せた。
「先生って…。今、幸せですか?」
「どど、どうした? いきなり…」
「たまに淋しそうな顔をしているんですよ。先生って…」
「そうか?」
「そうですよ。そう。まるで何処かに何かを置いて来てしまったような…」
「そうなんだ…」
「それって、もしかして、いつか先生が言ってた病気と関係とかあるんですかね?」
「うーん。そうだなぁ…。関係あるのかも知れないなぁー…」
「不安じゃないですか? 記憶を何処かに置いて来てしまったような感じって」
「そうだな。不安と言うか、もうそんな感じも無いかもしれないな」
「意識混濁とかじゃないんですか?」
「ああ。そこまで酷い状態はもう無いよ。克服して随分経っているからね」
「でも私の名前は覚えてくれていなかったんですね」
幸恵は少しふくれた振りをした。
「ごめんごめん」
「松下さんの名前は覚えているのに!」
「そうなんだよなー。何故かアイツだけは頭に残っているんだよ。さっきも擦れ違った男子の名前は出て来なかったのに…」
「松下さんが可愛い女子だからじゃないですか?」
「ははは。焼きもちか?」
「まさかー。それは松下さんだけ覚えられるからですよ」
「ん? どういう事だ?」
「だって、先生はもうすぐ私の事しか考えられないようになるもん」
「え?」
幸恵は立ち止まると俺の顔を見つめた。
「記憶って…。人の記憶って当てにならないんですよ」
一瞬時間が止まったような錯覚を感じた。
「せんせーい!」
その声に俺は振り返った。走り寄って来る女生徒が一人いた。
「はあはあ…。なんだ、幸恵と一緒だったんだ。誰とデートかと思った」
息を切らせながらそう言った。「それじゃあ、お先に!」
そのまま俺と幸恵の横を通り過ぎて行ってしまった。
「………」
俺は立ち尽くしていた。
「どうしたの? 先生…」
幸恵が俺に近付いて来た。俺は遠くなって行く女生徒の背中を見ながら呟いた。
「…あの子の名前、なんだったっけなぁ?」
「松下さんですよ」
「あ。そうだった。そうそう」
幸恵の声にこう答えた俺は次の瞬間振り返った。「な、何故だ!?」
幸恵は微笑んでいた。
「どう言う事だ? さっきまで彼女の話をしていた俺は名前を覚えていた筈だ! それなのに、今はもう覚えていない! い、一体、君は俺に何をしたんだ!?」
「先生は私の事を覚えていないんじゃなくて、私がそうしてたの。今やったように」
「なんだって?」
「いつだって先生は私のアイドルよ。神様よ」
「は!?」
俺の前に立っているのは本当に生徒なのか? それとも?
「あのまま消えてしまいたかったけれど、私は死ねなかったわ。どうしてなのかしらね。そして成長が止まってしまった。ホルモンのバランスが狂ったのか判らないけれど、私は永遠の時を手にしたの。そして貴方をずっと見て来たわ」
「ま、まさか…。そんな馬鹿な…」
「記憶なんてどうでもいいのよ。本当の事なんてもしかしたら無いのかもしれない。私はただ特別な存在でいたいの、ずっと貴方のそばで…」
沢山のイメージが俺の頭の中で渦巻いていた。
神による真の統治を熱望し、天使の務めを統制する…サキエル。
慈悲と慈愛の天使、サキエル。
「君は…、あの時の、幸恵なのか?」
「そう。私よ…」
思い出した。サキエルは主天使の指導者であり、そして…。
「記憶の天使…」
【end】